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| ¶ 桜井浜江・豊福知徳・高松次郎・米谷清和 |
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| No.1 桜井浜江 《黒い波》 |
1995年 90.9x72.2cm カンヴァス・油彩 |
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桜井浜江は1908年山形県に生まれる。24年山形第一高等女学校卒業の後上京、川端画学校洋画部や岡田三郎助研究所に通い画家を志す。28年から1930年協会洋画研究所に学び里美勝蔵らに教えを受ける。30年に創立された独立美術協会の第1回独立展に入選(31年)以後、同展への出品を続ける。39年三鷹市下連雀へ転居(戦中は山形へ疎開するが、戦後再び三鷹に居住)。戦後は、独立展への出品に併せて47年雑賀文子、三岸節子らと女流画家協会を創立する。また同年に第2回新興日本美術展読売賞受賞。翌48年には《人物》2点独立賞受賞。54年独立美術協会会員となる。独立展、女流画家展をはじめ秀作美術展、現代日本美術展等出品展多数。79年「桜井浜江画業展」(山形美術館)ほか、95年には青梅市立美術館にて「桜井浜江展−画業65年の軌跡」が開催される。
力強い筆致と生命感に溢れる画風は、晩年にあたる作品《黒い波》においても発揮されている。2007年2月逝去。 |
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| No.2 豊福知徳 《半円柱 I 》 |
1964年 201x39x19cm 木 |
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豊福知徳(TOYOFUKU
Tomonori)は1925年福岡県に生まれる。国學院大学国文科を中退、学徒出陣で特別攻撃隊に志願するが訓練中に敗戦を迎える。その後復学せず、46年伝統的木彫の継承者である冨永朝堂に師事する。ふたたび上京し、52年三鷹市牟礼にアトリエを構える。55年新制作協会作家賞受賞。59年《漂流
'58》で高村光太郎賞受賞。60年ヴェネチア・ビエンナーレ出品を機に渡伊、現在に至る。カーネギー国際美術展をはじめ現代日本美術展、70年万国美術展(大阪)等に出品。欧州において個展多数。日本芸術大賞を受賞した78年北九州市立美術館における個展では、この《半円柱
I 》が出品された。90年毎日芸術賞受賞。94年三鷹市美術ギャラリーにて「豊福知徳――具象と抽象の間(はざま)で――」展開催。 |
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| No.3 高松次郎 《誕生》 |
1960年 49.4x37.0cm 紙・水彩 |
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高松次郎は1936年東京都に生まれる。1958年読売アンデパンダン展に出品。62年山手線内およびホームでハプニングを含む制作を行う。翌63年赤瀬川原平、中西夏之らとハイレッド・センターを結成し、《ミキサー計画》《シェルター計画》等芸術と日常との境界を攪拌する様々な実験的活動を試みる。65年若手芸術家の登竜門であったシェル美術賞において1席受賞、さらに同年長岡現代美術館賞展において《カーテンをあけた女の影》が優秀賞受賞。また67年パリ・ビエンナーレにてテアドロン財団賞、翌年ヴェネチア・ビエンナーレにおいてカルロ・カルダッツォ賞、おなじく同年芸術選奨新人賞、72年東京国際版画ビエンナーレ国際大賞受賞など、国内外で高い評価を得ている。〈影〉のシリーズ以降も、〈遠近法〉〈波〉など虚構と現実の相互侵食を問いかける作品を制作、後期には生命の根源を連想させる〈熱帯〉〈原始〉シリーズへと展開。96年当ギャラリー及び新潟市美術館にて個展開催。98年没。翌年国立国際美術館、2000年千葉市立美術館において個展開催。生前三鷹市在住。
本作品は、1960年に制作された一連の作品(14点)のうちの1点で、<影>シリーズに先立つ最初期のタブローである。 |
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| No.4 米谷清和 《Phone》 |
1983年 130.3x162.1cm 絹本彩色 |
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米谷清和は1947年福井県に生まれる。多摩美術大学日本画科在学中であった1969年、横山操奨学金を受けヨーロッパを旅行。また72年日展に初入選する。73年多摩美術大学大学院修了後、75年塊展を結成(84年まで出品)。76年渋谷画廊で開催された個展-TOKYO-で、都市に生きる人間を主題にした作品を発表、異色の日本画家として注目される。77年日展で《刻々》が特選受賞。78年東京セントラル美術館日本画大賞展に招待出品し佳作賞受賞。また同年にグループ〈野火〉を結成(87年まで出品)。80年頃から「明日への日本画展」、「次代への日本画展」等に出品、さらに資生堂ギャラリーでの個展-Day
by Day-で独自の作風に対し高い評価を得る。84年〈横の会〉結成に参加、以後93年(最終展)まで継続して出品する。85年山種美術館賞展で優秀賞受賞、87年再び日展特選を受賞する。96年個展-Day
in, Day out-が日本橋三越本店で開催された。都会に暮らす人々の日常的な風景やその孤独を描きだした作品は、日本画における新たな領域を切り開いている。 |
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